希望をもつ ― 2011/04/25
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ヨブ記に学ぶ苦難の時の心構え
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旧約聖書には、「ヨブ記」と言う物語が出てきます。
42章から成り立つこの物語では、全てを持っていたヨブが、全てを失い、そしてまた全てを取り返すまでの葛藤苦悩が書かれています。
この書を読むと、人生における最もつらく不可解な事柄の背後に、しっかり構える神様がいることが分かってきます。
私たちがこの物語を見るとき、はじめからヨブの試練の前の天での会談を読みます。どうしてヨブが苦悩を受けるのか最初に理解するのです。
そして私たちは、数ページを捲るとそのクライマックスもすぐ知ることができます。どのような結果がヨブを待ち受けているのかすぐに知れます。
しかし、ヨブにはこのどちらも知らされていませんでした。
もしヨブが、この天での会談や私たちが知っている彼の結末を試練の最中見ることができ
たなら、彼の態度は全く異なったものになっていたでしょう。
しかし、ヨブには試練を受けている間、それがどのような理由で始まったか、いつ終わるのか、どんな結末が待っているのか全く何も知らされませんでした。
ヨブの友にもそれは知らされていませんでした。天上の世界と、私たち後の人間にしか分からないのです。
苦しみの最中、ヨブは何も知らなかったのです。
知っていたとしたら、信仰を働かすことは出来無かったし、火に試された金のようになることもなかったのです。
神様は、私たちに現在の段階であえて明かさないことがあると思います。それを明かすことが私たちの益にならないからです。
聖書は、「啓示の書」としてだけでなく、「留保の書」としての意味があるのです。教えてくれることもあれば、教えないこともあるということです。
そしてその「留保の書」としての役割は、私たちに信仰を働かす機会を与え、火に試された金のようにさせることなのです。
だから、苦難の中にいるとき、その目的が見えないとき、私たちには希望があります。
その苦難の背後で見守ってくださる神がいること、その苦しみには目的があることが天で話し合われており、最後には祝福があることを信じていいのです。
苦難の時にはヨブ記を読んで、見えないものを期待する心を養いましょう。
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